昭和20年代後半、2月の寒い日、わたしは継ぎ当てだらけの黒いズボンとぶかぶかの緑色の毛糸の服(毛糸か定かではない)を着て、近所の友達と日が暮れるまで遊んでいました。毛糸の服は袖がテカテカしていました。栄養状態がよくなく、よく鼻水が出るので、袖で拭いていたからです。鼻紙ましてティッシュなどはなかった時代です。学校の給食は、定番の脱脂粉乳(わたしはおいしくいただいていましたが、)でパンはコッペパン(2時間もするとカチンカチンになる)でした。まだまだ国民が貧しかったころの話です。身近にロシア人やウクライナ人がいますが、みんな憔悴しきっています。彼らと会った時、60年以上も前の子供もころが思い出されました。
毎週、ソフトボールができる平和な日常に感謝!!!!!! 決して、どんな理由があろうともすべての人を悲しませる戦争は反対!!! (申し訳ない)

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